ケン・ウィルバー年譜
1949年 |
アメリカ、オクラホマ州で空軍大佐の息子として生まれる。 父親の仕事柄、幼少から引越しで各地を転々とした。 |
1960年代 |
少年時代より物理、数学、科学、生物学などの自然科学に親しみ、その分野ではいくつかの賞を受けるほど優秀であった。また、親交のあった近所の医者を通じて手術を見学するなどの医業への強い関心を思わせる一面もあった。 ノースカロライナ州デューク大学に入学(医学部進学コース)。ウィルバーはこの頃を指して自身を「ノーマルで健康な若者」であったと語っている。 ところが、入学1年目に老子の『道徳経』に出会い人生観が一変。 学業の関心を半ば失い、「『バガヴァット・ギータ』を読むために化学の授業を取りやめ」「カバラを研究するために微積分学もサボった」*1 父親の空軍勤務の関係でネブラスカ大学リンカーン校に移転。 化学と生物学を専攻した。「医学よりは創造的」に感じられたことと「学ぶにやさしく勉学にさほど時間を要しなった」という理由からである。 以後、学業とほどほどにつき合いながら古今東西の心理学・哲学・宗教の文献を1日8~10時間、2、3冊のペースで読み漁る日々をすごしたという。 「すべてを読まなければ気がすまなかった」*1
学生の頃の写真 |
1970年代 |
THE SPECTRUM OF CONSIOUSNESS.(邦訳『意識のスペクトル』)の執筆開始(23歳)。(原稿段階の発表で)、トランスパーソナル心理学の研究者たちに衝撃と好評を持って受け入れられた。 その一方、家賃を払うためにガソリンスタンドや皿洗い、食料品店の店員の仕事を始める。平平凡凡とした単純な手作業に深い意味を見出す禅の考えに強く惹かれていたためである。
禅僧の元で修行していた頃の有名な写真 ネブラスカ大学を卒業(優等生として生化学と生物物理の分野で奨学金を獲得していた)。 大学院に進むが、1年目の大部分がスピリチュアルな分野の読書(ブッダ、パドマサンヴァ、エックハルト等)に費やされた。のち修士号を修得しアミイと結婚。大学院を中退で去った。 (アミィとの結婚生活は9年間続いた。今でも友人としていい関係をもっているという) |
1976年 |
THE SPECTRUM OF CONSIOUSNESS.(邦訳『意識のスペクトル』)出版。たちまち話題になり書評などにも数多く取り上げられる。 教鞭の誘いがあったが肉体労働と執筆という生活のスタイルを変えることはなかった。 ウィルバーはこれらの労働を通じて「謙遜とは何かを学び」、社会の最下層で働く市民に「同じ人間性を分かちもつ同胞としての意識」を抱いたという。 「この種の感情は、いかなる書物からも、いかなる大学からも与えられた経験がなかった」 *1 |
1979年 |
NO BOUNDARY.(邦訳『無境界』)出版。 |
1980年 |
THE ATMAN PROJECT.(邦訳『アートマン・プロジェクト』)出版。 |
1981年 |
『レ・ヴィジョン』誌の編集長に就任。マサチューセッツ州ケンブリッジに引越す。シャンバラ出版のサムとの親交が始まる。 この雑誌はジャック・クリッテンゼンとウィルバーが1978年に創刊。アメリカで初めてホログラフィク・パラダイムの特集を組む。レ・ヴィジョン誌はアカデミックな“比較宗教学研究”と、先進的な“トランスパーソナル心理学”、“ニューサイエンス”の中間の立場をとるジャーナルでり、ヒューストン・スミス、フィリッチョ・カプラらが参加している。ウィルバーはヒューストンが参加するのを条件に雑誌編集の仕事を受けた。
レ・ヴィジョン誌編集長の頃の写真 レ・ヴィジョン誌の経営権譲渡に伴い、サンフランスシスコのティブロンに住居を移す。フランシス、ロジャーとの同居生活。 |
1982年 |
A SOCIABLE GOD.(邦訳『構造としての神』)出版。 THE HOLOGRAPHIC PARADIGM.(邦訳『空像としての世界』)出版。 |
1983年 |
トレヤ(旧名テリー)と結婚(11/26)。
結婚して十日目、トレヤが癌(乳ガン)を発病していることが検査により判明。著作活動を控えて看病に専念する。
写真。結婚生活の始まりが闘病生活だった。 |
1984年 |
QUANTUM QUESTIONS.(邦訳『量子の考案』)出版。 |
1986年 |
TRANSFORMATIONS OF CONSCIOUSNESS.(未訳)出版。 |
1987年 |
SPIRITUAL CHOICES.(未訳)出版。 |
1988年 |
トレヤ死去。 |
1991年 |
GRACE AND GRIT.(邦訳『グレース&グリット』)出版。 |
1995年 |
SEX, ECOLOGY, SPIRITUALITY.(邦訳『進化の構造』)出版。 ウィルバーは本書の執筆のために3年間の隠遁生活を自らに課したという。「それは、きわめて典型的な3年間の沈黙の修行生活だった」(『ワン・テイスト』より)
SEX, ECOLOGY, SPIRITUALITY.の“著者近影”から |
1996年 |
A BRIEF HISTORY OF EVERYTHING.(邦訳『万物の歴史』)出版。発売後まもなくベストセラーとなる。 |
1997年 |
THE EYE OF SPIRIT.(邦訳『統合心理学への道』)出版。 この年については『ワン・テイスト』を通じての日記で詳細な行動禄が残っている。例えば当時のウィルバーの典型的なスケジュールについては朝3,4時起床。1,2時間の瞑想。午後1,2時まで仕事であるとのこと。 また、後結婚することとなるマルシ・ケイ・ウォルターと出会ったのも丁度この時期である) |
1998年 |
The Marriage of Sense and Soul.(邦訳『科学と宗教の統合』)出版。 インテグラルセオリーの研究組織であるIntegral Instituteを設立する。 |
1999年 |
ONE TASTE.(邦訳『ワン・テイスト』出版 |
2000年 |
INTEGRAL PSYCHOLOGY.(未訳)出版。 A THEORY OF EVERYTHING.(邦訳『万物の理論』)出版。 |
2001年 |
マーシー・ケイ・ウォルターとの結婚(6月)。 |
2002年 |
初のフィクション本、Boomeritis.(未訳)出版(5月)。
マーシー・ケイ・ウォルターと離婚。 健康状態が悪化する(免疫系に関係した難しい病気であるよう)。 |
2003年 |
7月。ボールダーのウィルバー宅にてサン・フランシスコ・ベイ・エリアの大学院のためにセミナーを開く。闘病中でありながら元気な姿を見せてくれたのこと。 初のアンソロジー本、The Simple Feeling of Being.(邦訳『存在することのシンプルな感覚』)出版。 |
2005年 |
総合大学Integral Universityを設立する。 |






