Alchemist段階(5/6)
Susanne Cook-Greuter(2002)は、パーソナル段階からトランスパーソナル段階への移行段階を"Alchemist"段階、または、"Construct-Aware"段階と形容している。
この段階においては、体験というものが本質的に「自己」("I")という機能をとおして「構築」されるものであることが認識される。つまり、体験というものが、世界(内的・外的)をありのままに把握するのではなく、体験主体である自己という解釈機能をとおして、それを再構築する行為であることが認識されるのである。
とりわけ、ここでは、体験というものが言葉により強力に規定されるものであることが認識される。人間が、言葉をとおして、世界を「恒久的」(permanent)・「客観的」(objective)なものとして設定しようとする根源的な衝動にもとづいて生きる生物であることが洞察され、また、言語活動が、世界の本質である混沌に秩序をあたえる解釈行為であることが認識されるのである("…reality is now understood as the undifferentiated phenomenological continuum or chaos…")。つまり、体験というものが、本質的に、人間をありのままの世界から疎外するものとならざるをえないことが実感されるのである。
全ての人間は、混沌とした世界と対峙する存在であるという意味において、結ばれている。しかし、同時に、自己という装置をとおして体験を構築することをとおして、相互から疎外されている存在でもある。個人・個人は、自己の認識機能をとおしてしか世界を体験することはできない。そして、それぞれの認識機能の枠組は完全に同じであることはないのである。
混沌から秩序を創造するという人間意識の本質的な機能にたいする洞察にもとづいて、人間存在の根本的な制約条件と対峙することをとおして、パーソナル段階からトランスパーソナル段階への移行が展開していくことになる。
人間性との対峙
上記のような人間意識の根源的な機能にたいする洞察は、Alchemistsの内部に、認識行為というものが、本質的に、自己を機軸として展開する「自己中心的」("ego-centric")な行為とならざるをえないことへの問題意識を醸成することになる。ここでは、「個」であるということそのものが人間存在の制約条件として問題視されることになるのである。また、こうした洞察は、自己による認識行為を規定する「秩序の創造」にたいする批判的な精神を醸成することにもなる。つまり、世界の把握という命題のもと、言葉を駆使して、複雑な地図を作成することの意義が懐疑されることになるのである。
Construct-Aware段階は、「意味構築活動」("meaning-making activity")の主体としての「個」を対象化するはじめての発達段階であるということができるだろう。この段階において、人間は、自己が本質的に自己保全衝動にもとづいて機能する存在であることを喝破する(こうした自己の構造的衝動は、インテグラル思想において、"Atman Project"と形容されているのは周知のところである)。彼らは、意味構築活動が本質的に解釈行為であるという意味において、窮極的には、真実は自己の活動をとおしては知ることができないことを認識するのである。ここでは、また、人間の認識を特徴づける対極的発想(例:善と悪・生と死・美と醜)が、実際には、世界を把握するための解釈の枠組にすぎないことが認識される。
こうした人間性の根本にたいする洞察を基盤として、Alchemistsは人間が人間であることに起因する問題と対峙しようとする。
こうした態度は、例えば、世界を把握するための「理論」や「説明」を希求する自己の強烈な欲求との対峙として顕現する。Alchemistsは、世界を知的に把握することをとおして平衡(equilibrium)を醸成しようとする意識の自動的な習慣が、窮極的には、自己の実在感覚(sense of substantiality)を増幅しようとする、いわば、存在の本質の拒絶のこころみであることを察知する(Loy, 1996)。この段階においては、あらゆる文化的な多様性を超えて機能する、こうした人間の構造的・普遍的な性質――言葉を用いて、自己の実在感覚を増幅しようとする性質――を克服することが模索されるのである。(9)
非言語体験の統合
人間の意識活動における言語の重要性と制約性が認識されるなかで、Alchemistsは、しばしば、非言語領域とのつながりを深めていくことになる。こうした意識の深化は、普通、直感・身体感覚・感情・夢・元型等、非言語体験の経験・統合の能力の成熟として実現する。つまり、こうした過程のなかで、Alchemistsは、世界を把握するうえで、言語のみならず、非言語的・非合理的な知恵の源泉を尊重することを重視するようになるのである。また、この段階においては、しばしば、「至高体験」といわれる瞬間的に日常的な自己の境界を超越する体験が経験されるようになる。こうした体験は、Alchemistsをさらなる意識深化へと誘うことになる。
孤独との対峙
Construct-Aware段階において個人が直面する代表的な苦悩は、自己の洞察を共有することのできる他者を見いだすことができない可能性にたいする恐怖であるといえる(また、実際、こうした成長段階が非常に稀有のものであるという意味においては、それが単なる杞憂ではないことはいうまでもないだろう)。自己の複雑な認識構造を共感的に共有することのできる他者を見いだすことができないことが醸成する孤独感は、時として、Alchemistsを絶望に陥らせることになる。また、そうした自己認識が内包する自己を特別視する態度そのものを問題視することのできるAlchemistsの批判的精神は、彼らを複雑な内省の迷路に陥らせることになる。人間の構造的な問題にたいする透徹した洞察は、こうしてAlchemistsを特有の苦悩の循環にとらえることになるのである。
このような高度の成熟の苦悩を背負うAlchemistsにとり、それまでの成長段階を特徴づける単純さと素朴さ(simplicity)は、しばしば、羨望の対象として経験されることになる。しかし、この段階の精神的な成熟は、Alchemistsに――自己の根源的な孤独と絶望を見据えながら――自らの運命を自己の責任にもとづいて果敢に抱擁することを可能とする。それは、人間としてこの世界に生命をあたえられてあることが内包する根源的な苦悩と対峙して、そして、そのなかに建設的な解決策を創造していこうとするありかたと形容することができるだろう。
関係性
人間性の本質にたいする透徹した洞察は、人間関係の領域において、Alchemistsに非常に優れた洞察能力をもたらすことになる。Strategistsが成長を絶対化する傾向にあるのにたいして、Alchemistsは、成長を対象化することができているために、個人・個人をありのままに受容することができるようになるのである。
成長という価値を絶対化することは、必然的に、Strategistsの構築する人間関係を実現志向のものにすることになる。そこでは、あくまでも、成長とは善であり、成長への可能性を抑圧することは回避されるべきであると信じられるのである。しかし、実際には、成長への可能性を実現することができたときにもたらされるのは――非常に皮肉なことに――窮極的にはそれそのものが人間の構築した虚構にすぎないということにたいする認識である。Alchemistsは、実際に成長という虚構を生きることをとおして、それが虚構にすぎないことを自覚するのである。
こうした過程を実際に完遂することは、Alchemistsに独特の視野をもたらすことになる。それは、人間を自己の選択した「虚構」を生きる権利を有した存在として抱擁する視野であるといえる。
人間とは、自己の責任において、意味構築活動を展開しながら生きていく権利を有している。また、それぞれの意味構築活動は、この世界のなかで営まれることをとおして、本質的に、変化(深化)することを宿命づけられた営みである。世界の本質を俯瞰する視野にもとづいて、Alchemistsは、人間というものを刻々と深化しつづける存在として抱擁することをとおして、その自然な変化の過程に寄り添おうとするのである。
この世界において、あらゆるものは変化のただなかにあり、個人・個人はそうした文脈のなかで自己の人生を生きていくことにならざるをえない。そうした認識にもとづいて、Alchemistsは他者を絶対的な孤独のなかで変化の過程を生きるものとして尊重するのである。
相手の内的世界にたいする洞察と尊重にねざしたこうした包容力は、人間関係の領域において、Alchemistsにひときわすぐれた感受性と適応性をもたらすことになる。
自己の責任にもとづいて意味構築活動に従事する存在として他者を抱擁することをとおして――つまり、相手の経験する内的世界が、その独自性において、窮極的には、こちらに理解することができないものであることを認識することをとおして――Alchemistsは、その内的世界を内部から経験するための感受性を獲得する(真の共感とは、存在の基盤である、実存的な孤独を抱擁することができて可能となるものである)。そして、これは、必然的に、Alchemistsに相手の認識構造に絶妙に適応した対話を行うことを可能にするのである。ここでは、Strategist段階でなされるような、自己を絶対化したうえで、同等のレベルへと他者をひきあげようとする「責任意識」が積極的に拒絶されることになるのはいうまでもない。
ある価値を絶対化したうえで、それを基準として他者の存在にはたらきかけることを意識的に忌避するという意味において、Alchemistsのありかたは、Strategistsのありかたの対極に位置するものであるということができるだろう。実際、Susanne Cook-Greuter(2002)の指摘するように、Alchemistsは、時として、成長の潜在的な可能性を実現することに執着するStrategistsのありかたにたいして最も批判的となる人々である。Alchemistsにとり、Strategistsのそうしたありかたは、本質的に、自己の信奉する価値を絶対化する自己中心的なありかたとして見なされるのである。また、そうしたありかたは、常に将来を志向することをとおして、現在という瞬間を疎かにするものであるという意味において、大きな問題を内包するものとして判断されるのである。
こうした姿勢を反映して、Alchemistsは、組織活動の領域においては、しばしば、変革の触媒(catalyst)としての役割を果たすことになる。自己の問題意識を人間存在の根本的な問題に向けながら、Alchemistsは、その克服のために自己にできる最高の貢献を模索しつづけるのである。
その意味では、Alchemistsの関心は、具体的な組織を構築・維持・発展することにたいしてではなく、むしろ、人間存在という問題そのものに向けられているということができるだろう。(10) こうしたありかたにもとづいて、Alchemistsは、組織活動に変革の触媒として参画するが、自己の責任が終了したときには、そこからすばやく立ち去ることができる人々である。彼らの関心は、あくまでも、自己の必要性を無くすことにあるのである(つまり、組織が、自己の支援なしに、自己変革・自己組織することができるものとなることが希求されるのである)。
課題
Construct-Aware段階の課題とは、人間存在の構造的な問題を洞察するその透徹した認識能力が醸成する絶望を克服することであるといえる。この発達段階において、あらゆる価値観は、人間が自己の実在感覚を増幅するために構築した虚構にすぎないことが認識される。そして、そうした衝動にもとづいて生みだされたあらゆる創造物が、窮極的には、朽ちていくものであることが認識されるのである。
Alchemistsにとり、それらが永続するものであるという前提のもと、Atman Projectの一環として、構築物の構築作業に参画することは、人間存在の根源的問題の温存に参与することにほかならない。Alchemistsにとり、それは虚構の蔓延に荷担することにほかならないのである。
必然的に、こうした問題意識は、Alchemistsの人間の創造活動にたいする信念を溶解する危険性を内包することになる。そして、ひいては、これは、この世界における人間の営為そのものにたいする絶望として結実する危険性をも内包している。
Construct-Aware段階において、Strategist段階を特徴づけていた「確信」と「自信」は失われ、われわれは、トランスパーソナル段階への関門となる危機("Dark Night of Soul")を経験することになるのである。
Alchemistsの内的世界が物語るように、「意味構築構造」("Meaning Making Structure")の成長は、自己の内省力(reflexivity)の深化を押しすすめ、最終的には、成長という現象そのものにたいする内省を可能とすることになる。そこにおいて、人間は、成長というもの――そして、その体験主体である自己というもの――にたいする根源的な問いを発することになるのである。主体としての自己の本質にたいするこうした透徹した視線はConstructive-Aware段階においてはじめて確立される能力であるが、個の完成を特徴づけるそうした能力が個であることの意味を根源的に懐疑するものであるという事実は、現象世界(manifest world)というものが、進化のダイナミズムにより特徴づけられることをとおして、構造的に内蔵する矛盾を端的に象徴するものであるといえるだろう。
Alchemistsの特徴とは、現象世界が構造的に内包する矛盾を認識したうえで、それがもたらす複雑性を意識的に活用しながら、変容のための責任を果たすことができることである。現象世界が変化の只中にあることを認識するAlchemistsは、あらゆる存在の流動性を注視しながら、その創造的な展開に携わろうとするのである。現象世界のなかで展開するものごとを俯瞰するこうした姿勢はAlchemistsに卓越した柔軟性に特徴づけられた行動力をもたらすことになる。それは、人間性の本質にたいする透徹した洞察が可能とする軽やかさと形容することができるだろう。
しかし、あらゆる意識構造がそうであるように、Constructive-Aware段階も、また、独自の構造的課題を内包している。Constructive-Aware段階において、人間は、はじめて、世界の本質を洞察する視野を確立する。しかし、ここで留意するべきことは、こうした姿勢が構造的に世界の本質を洞察する認識者としての立場にたいする執着を内蔵するものとならざるをえないということである。つまり、そこにおいて、Alchemistsは、自己の認識存在としての複雑性にとらえられることになるのである。Constructive-Aware段階のこうした構造的な特性は、洞察という行為が内包する疎外の感覚を増幅することをとおして、必然的にAlchemistsの孤独感を悪化させていくことになる。Constructive-Aware段階においては、内省力の深化というそれまでの意識進化の過程を特徴づけていた基本法則が、「解放の機能」として、その限界に到達するのである。
Unitive段階(6)
Susanne Cook-Greuter(2002)は、Constructive-Aware段階の高次の段階をUnitive段階と形容する。この段階において、意識発達の過程はいわゆる「トランスパーソナル」と形容される段階に到達することになる。この段階において、認識のありかたは根本的な変容を遂げることになる。そこでは、それまでの段階における認識を規定していた、本質的に言葉(symbol)を媒体とした「意味構築活動」("Meaning Making Activity")が超越されることになるのである。
David Loy(1996)の指摘するように、「個」とは、意味を構築することをとおして自己の「実在感覚」("sense of substantiality")を確保しようとする存在である。そこには、常に、窮極的には自己が虚構にすぎないものであることにたいする認識が息づいている。結果として、そうした認識は、自己の本質である虚構性を拒絶して、その溶解を回避しようとする自己増幅活動("Atman Project")へと人間を巻き込んでいく。
Constructive-Aware段階における、自己増幅衝動に特徴づけられる自己の構造的な性質にたいする認識は、意味構築活動の背後に存在する虚無との対峙を可能とする。そこにおいて、Alchemistsは、意味構築活動が構造的に内包する限界を認識(対象化)することをとおして、その束縛から自己を解放しようとするのである。しかし、Alchemistsのこうしたこころみは、窮極的には、Constructive-Aware段階の限界を克服することはできない。認識という行為は、本質的に、主体(subject)と客体(object)を創造する行為とならざるをえず、そのために、それは不可避的に自己増幅の行為とならざるをえないのである。つまり、そこでは、まだ、認識という活動をとおして自己の背後に存在する虚無への埋没を回避しようとする自己増幅の衝動が意識を規定しつづけているのである。
自己増幅活動は自己溶解の恐怖を醸成することになる。また、自己溶解の恐怖は、自己増幅活動を促進させることになる。Atman Projectとは、人間が個であることをとおして内包する構造的な特性であるということができるが、それを解決するためには、実際には、洞察だけではなく、自己として死ぬことが必要となるのである。Unitive段階とは、こうした関門を潜りぬけたとこところにひろがるあたらしい地平であるといえるだろう。
永遠性・普遍性にたいするまなざし
Unitive段階において、Ironistsは人間(自己と他者)を「創造的基盤」("Spirit"・"Creative Ground")の顕現として認識する。個人は、人類という生物種が背負う進化という宿命の実現に参画する存在として認識されるのである。
個人の存在は、こうした大局的な視野から、集合的存在との関係性のなかでとらえなおされる。また、こうした関係性にたいするまなざしは、同時に、人間が個であることをとおして構造的に背負うことになる絶対的な孤独を抱擁することを可能にする。そこにおいては、関係性と自律性という人間存在を特徴づける対極的特性が、それを溶解することなく、統合されるのである。つまり、それらは、異なる視点をとおして照明される、人間存在のあらわれかたとして認識されるのである。
また、Unitive段階においては、個人の存在は永遠性・普遍性の視点からとらえなおされることになる。Ironistsは、誕生・成熟・老衰という、全ての人間がたどる人生の旅路を世界の本質である変化の法則の自然な発露として受容するのである。
Unitive段階においては、諸々の意識状態にたいする主体的な関係性が獲得される。Ironistsは、人間意識というものが様々な意識状態のなかで立ち上がるものであることを認識することをとおして、それぞれの意識状態が提供する認識の枠組を受容するのである。意識状態にたいする感性の確立は、結果として、Constructive-Aware段階の重要懸案である言語を基盤とした意味構築活動の構造的限界の克服にたいする執着から個人を解放する。Ironistsにとり、それは、克服するべき問題ではなく、むしろ、刻々と展開する意識状態の変化の過程のなかで顕在化するひとつの人間の特性に過ぎないのである。
Unitive段階において達成される意味構築活動の超越は、Ironistsに意味構築活動の本質である価値判断からの解放をもたらす。そして、それは、あらゆるものを創造的基盤の同等な顕現として認識する包括的("Unitive")な視野をもたらすのである。ここにおいて、Ironistsは、日常の矮小な具体的現象のなかに、永遠性と全体性を見いだすことができるようになる。つまり、Ironistsは、砂ひとつぶのなかに、世界を見いだすことができるのである("Ironists can see a world in a grain of sand...")。
また、こうした永遠性・普遍性にたいする感覚を基盤とする包括的な認識構造は、他者を(そのひとの本質を尊重したうえで)ありのままに抱擁することをIronistsに可能とする。全ての人間は、どの発達段階にあろうとも、刻々と展開する進化の過程に参加するかけがえのない存在である。永遠性・普遍性にたいする感覚を基盤とするこうした認識構造は、また、同時に、個人というものが――たとえその業績がいかに偉大なものであろうとも――進化という大河のなかでは、一滴の水滴ほどの存在価値しかもたないものであることを認識する謙虚さを内蔵している。
こうした謙虚さのもとに、人間(自己と他者)をありのままに受容するUnitive段階の意識構造は、Ironistsに根源的な安心の感覚をもたらすことになる。そして、それは、Ironistsに合理的に構築された価値体系の束縛を回避して、根源的な自由(radical freedom)を拠りどころとする世界との携わりを実践することを可能にするのである。諸々の外的な条件(例:成長度・年齢・性等)の背後に存在する「本質」("Essence")にたいするまなざしは、Ironistsのなかに、あらゆる存在が内包する根源的な尊厳にたいする尊重の姿勢を醸成する。周囲の人間は、Ironistsとのやりとりのなかで、自らが無条件に尊重されていること、そして、自らが深く満たされていることを実感するだろう。
葛藤の受容
Unitive段階における意味構築活動の根源的な超越は、必然的に、それまでの発達段階を特徴づけていた問題・課題の解決という自己の構造的な衝動からの解放を可能とすることになる。Ironistsにとり、葛藤(conflicts)とは、もはや、解決されるものではなく、人間として存在することが構造的に内包する条件なのである。Ironistsにとり重要なことは、ある目的(段階・状態)を設定して、その実現を追及することではなく、むしろ、永遠性・普遍性にたいするまなざしを基盤とする大局的な視野から、進化が要求する行動を創造的に展開することなのである。世界を俯瞰する目撃者・観想者としての姿勢は、Ironistsに世界の進化にたいする責任を抱擁させる。存在の本質的な価値("Ground Value")の認識をもとに、Ironistsは、あらゆる価値判断から解放されたところにひろがる根源的な自由に他者を導こうとするのである。
慈愛
上述のように、Constructive-Aware段階の問題意識は、言語を基盤とした意味構築活動の構造的限界を克服するということである。意味構築活動が個としてあることが内包する根源的衝動(「死の拒絶」)を基盤とするものであるという意味において、それは人間性そのものと対峙する姿勢に貫かれたものであるということができるだろう。しかし、Unitive段階においては、こうした人間性にたいする透徹した洞察は、それを解決するべき問題として認識する対峙の姿勢ではなく、むしろ、それを人間としてあることが構造的に内包する欲求として、すなわち、全ての人間を結びつける「絆」として認識されることになる。そこにあるのは、窮極的には、生きとし生けるものが生きるということをとおして背負うことになる根源的な宿命にたいする共感と慈愛であるといえるだろう。世界に存在するありとあらゆるものとの同胞感覚("affiliation")は、生きるということが体現するこうした根源的な衝動の受容をとおして確立されるのである。
生命への奉仕
Ironistsとしての意識構造を確立するとは、この惑星において脈々とつづく生命の歴史にたいする責任を抱擁することである。そして、この惑星における生命の歴史にたいする責任を抱擁するとは、過去・現在・将来というものを包含する悠久を抱擁することである。そこにおいて、Ironistsは、この瞬間、自らが存在していることを、惑星における生命の進化に参画するための責任を全うするための機会としてとらえなおして、生きていくことになるのである。
われわれが個人としてこの世界に存在する期間は微々たるものである。われわれは、刹那のあいだ、この世界に個人として存在したあと、再び存在の基盤である創造的基盤へと回帰していく。その意味では、個人としてあるとは、自己を創造的基盤からあえて疎外することをとおしてあたえられる「存在の状態」といえるのである。そこにおいて、われわれは、生命の歴史にたいする奉仕の責任を抱擁して、世界が刻々と開示する真理にもとづき、自己の可能性を実現していくことになるのである。
Unitive段階において、真理とは、世界そのものが内包するものとして認識される。それは、合理的な方法をとおして獲得・蓄積されるものではなく、むしろ、自己を「空」(open)にして、世界に参与するなかで開示されるものなのである。
個としてあることが構造的に内包している「疎外性」(separateness)と「刹那性」(transiency)を認識したうえで、それを永遠性と普遍性の視点から積極的に生きることを選択するIronistsの「行動論理」("Action Logic")は、真の意味でトランスパーソナルと形容することのできる最初の段階である。そして、21世紀において、人類の集合的な意識進化の過程は、はじめて、こうした構造を集合的な規模で構築しようとしているのである。(11)
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注
*1 具体的には、"dominant monad" を有する "Individual Holon" にたいする「支援と挑戦」の空間として、"Social Holon" が "dominant mode of discourse"、または、"predominant mode of mutual resonance" をとおして機能するということである。
*2 Individualist段階において「統合」がこころみられる場合、あくまでも多様な存在を水平的に陳列するだけで、高度の段階からそれらを構成要素として抱擁したうえで関連づけるという垂直的な統合は実現されない。
*3 「対極性の統合」の詳細については、http://www.integraljapan.net/ に掲載されている「対極性の管理」(第1回)と「対極性の管理」(第2回)を参照していただきたい。
*4 これについて、Collins & Porras(1994/2002)は、次のように述べている。"It's not what they believed as how deeply they believed it (and how consistently their organizations lived it). Again, the key word is authenticity. No artificial flavors. No added sweeteners. Just 100 percent genuine authenticity" (p. 76).
*5 ただし、これは、あくまでもStrategist段階の組織の傾向であり、必ずしも、すべてのStrategist段階の組織に当てはまるものではないことをCollins & Porras(1994/2002)は指摘している(p. 94).
*6 "Since you can't tell ahead of time which variations will prove to be favorable, you have to accept mistakes and failures as an integral part of the evolutionary process" (Collins & Porras, 1994/2002, p. 183).
*7 Individualist段階において、commitmentというものが、基本的に、自己の自律性にたいする干渉としてとらえられるのと対照的であることに留意されたい。
*8 James Fowler(1996)は、「恥」("Shame")とは、自己が内包する高次の可能性を裏切ることに起因する感覚であると指摘する(逆に、「罪」("Guilt")とは、共同体の規範を逸脱することに起因する感覚である)。この定義によれば、Strategistsとは、最も強烈に恥の感覚を経験ことができる人々であるということができるだろう。
*9 ただ、ここで留意するべきことは、こうした言語にたいする問題意識が必ずしも言語の否定や忌避として結実するわけではないということである。こうした問題意識は、実際には、人間の精神活動において言語が果たす役割の重要性にたいする透徹した洞察にねざしたものである。それは、また、言語というものがもつ可能性にたいする尊重として顕現することになる。
*10 もちろん、これは、こうした活動において、Alchemistsが有能でないということではない。Strategist段階において確立されるそうした能力は、ここでも確実に継承されることになる。
*11 非常に皮肉なことは、トランスパーソナル運動が、こうした段階への集合的な意識進化を醸成する触媒(catalyst)としての責務を果たすことに失敗しているということであろう。今日において、トランスパーソナル運動は、「自己探求」や「自己実現」等、先進国の富裕階層の欲求を充足することを自己の責任範囲として設定した、典型的なindividualist段階の思想運動として活動を展開している。トランスパーソナル運動は、少数の例外をのぞいて、意識状態に調査・研究の焦点を絞ってきたが、こうした文化的特性は、自己の内的体験を絶対化するindividualist段階の構造的特性を端的に表現するものといえるだろう。結果として、トランスパーソナル運動は、意識構造の段階的な発達についての調査・研究をとおしてのみ可能となる人間存在の重要領域を看過することになる。そして、そうした視野狭窄は、必然的に、自己の視野を定義しているindividualist段階の構造的特性にたいする無自覚を醸成することになる。
KW(1995/2000)は、individualist段階の構造的特性に起因する内的体験の過剰評価は、必然的に、自己中心性の肥大化を促進することをとおして、感覚主義や個人主義等、還元主義("Flatland")の病理の蔓延に加担することになることを喝破する。実際、多くのトランスパーソナリトの活動形態は、主に「自己探求」・「自己実現」等を目的とする体験的なトレイニングであり、そこにおいて追求されるのは、窮極的には、諸々の充足感覚(例:幸福感・至福感)に特徴づけられる非日常的な意識状態でしかない。確かに、そうした非日常的な意識状態を体験することに価値があることはいうまでもないが、しかし、ここで留意するべきことは、そこでは、そうした意識状態を体験しようとする姿勢そのものは対象化されることはないということである。また、そうした活動は、関係者のあいだに、非日常的な意識状態の「提供者」と「消費者」という経済的・精神的な相互依存の関係を構築することをとおして、individualist段階の構造的特性の固着化を促進する危険性を内蔵している。こうしたありかたが、トランスパーソナル段階への意識構造の段階的な発達の促進というトランスパーソナル運動の責務を事実上放棄するものであることはいうまでもないだろう。
周知のように、近年、国内・国外において展開しているNew Age思想の興隆は、非日常的な意識状態の商品化を急激に推しすすめている。今日において、非日常的な意識状態の提供という経済活動は、もはや、トランスパーソナリストの占有領域ではなくなったのである。こうした動向は、必然的に、国内・国外において、トランスパーソナル運動の存在価値を動揺させている(例えば、国内・国外の関連組織の構成員は、近年、明確な減少傾向にある)。いずれにしても、時代状況の変化によりもたらされた存続の危機をトランスパーソナル運動が克服することができるためには、まず、その文化の重心をStrategist段階へと進化させることが必要となるだろう。
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